食事をするときに、心の中で感謝をする心構えが身についてきたかなと思う。この食事ができる背景にも、多くの人の労働や負担があるのだろうな、と想像する。このようになったのは、最近、午前3時ごろに仙台駅西口のペデストリアンデッキを渡るときに、改修作業や掃除をしている人たちを見たことも一つのきっかけだろう。普段このあたりを気持ちよく歩けるのは、この人たちによるところがある。自分の利便のために、たとえばかみ終わったガムを吐き捨てるなどといった行為は、この人たちを(take advantage ofという意味で)出し抜くことになるかもしれない。そうでなくても、どこかで誰かの負担が大きくなるのはほぼ確実だ。誰かがやってくれるだろう、と思う時の誰かは、架空の人間ではない。私も、その誰かになっていることがあるから分かる。ある仕事を私がやってくれるから、自分はやらなくていいや、と思っている人がいる。同時に、私も色々なことを他人任せにしている。
出し抜くことは良くないことだと思う。私もぜんぜん完璧ではない。時にはルールを破ったりマナー違反をしたりする。横断歩道の横に自転車マークの通行帯が無ければ、しましまのところを走行する。このような走行が原因で歩行者が不快になったこともあるかもしれない。道にごみが落ちていても、近くに利用できるごみ箱が無ければ、見て見ないふりをする。そしてそのような私を許してほしいなと思う。お互い様であると心から言えるようになりたい。
上記のようなことを思う今日この頃。そのような中で、どのようなきっかけだったかは忘れたけど、ある日私は、Google で "ゆっくり考える時間" を検索した。そして見つけたのが以下。
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http://www.cheesemarket.jp/column1.htmlやっぱり、出し抜くことは良くない。私がゆっくり考える時間を持てないのは、出し抜く人が多いからだ。外でゆっくり行動している人を見るとイライラすることがある。私は、自分のことを平均以上に良心を持った人間だと思っているが、このような側面はとても醜いもんだと思う。